三回目は、募集をはじめ、実際に調査したところ、田中泰阿弥という庭師が手掛けたというものがいくつかあった。また、奨励賞という、デザイン賞に準ずる程、景観や街並みに貢献しているので、次代に残してもらいたいという願いを込めてこの賞を新たに設けた。

 


(雄大な自然の景観を取り込んだお寺)
香伝寺

新発田市蔵光2798

見学条件:特になし

 ニ王寺岳に繋がる丘に、本堂・座禅堂・経堂・庫裏・弁天堂(約250年前に建立)の建物が配置され、小さな江戸時代の集落を想わせます。特筆すべきは、経堂で、真中に柱ごと回転する大きな独楽のような168個の桐製の輪蔵に驚かされます。本堂裏の庭は、小規模ながら雄大な自然の景観が拡がっていて、かつて田中泰阿弥氏が絶賛されたいった造園です

   

(昭和初期の屋なみが今も生きている)
金升酒造

新発田市豊町1-9-30

見学条件:社屋通路より見学可

 杉下見板張り、酒造工場のこげ茶。漆喰塗り、酒蔵の白…。自然素材が醸し出す半世紀前の懐かしい家並みと、ホノ甘い酒の香りが来訪者を酔わせます。雁木で繋がった母屋は事務所を兼ねた住まいで、町屋の料亭の趣。座敷にあがると縁側は優雅な茶室「湖月庵」につながり、深みのある庭は正に湖をおもわせます。(庭の一部は田中泰阿弥氏

   

(新発田川を渡った離れ)
市島酒造 お座敷

新発田市諏訪町3-1-17

見学条件:要事前連絡0254-22-2350石山専務

 御諏訪様の斜め向かい、粋な黒塀の内側は1940年代に建てられたお屋敷。入り口は北側の観光客で賑わっているお店です。立派な工場を抜けると、突然新発田川の流れが眼前に現れます。橋を渡って玄関に入ると、優雅な苔庭が拡がり、川と山を分ける玄関の配置に当時の棟梁のセンスが光ります

   

(新発田藩士の茶室)岡仙汲古堂

新発田市西園町1-3-10

秋に催し物を開催致します。詳細は後日公開します 。

 御納所役宅の離れ茶室として造られたと伝えられています。田中泰阿弥氏によって当所に移築再建されたそうです。黒柿の床框、欄間の透かし彫り、照明器具の一つ一つに洗練された粋なデザインと細工が込められています。江戸時代の華やかさを偲ばせる宝石のような建物です

   
(樹木も景観の担い手)
新潟職業能力開発短期大学校の桜並木

新発田市新富町1-7-21

見学条件:特になし

  明治9年に開校した島塚小学校が、明治34年に現在地(新富町)に移転してきました。その後、島塚小学校は昭和39年に中井小学校と統合し、国道7号線脇に移転し、現在の二葉小学校ができております。

 島塚小学校の統合・移転後の跡地である現在地(新富町)に、昭和41年4月に新発田総合職業訓練所が開所されました。当時の訓練所の敷地内には島塚小学校時代の松の木がありましたが、桜の木はなかったそうです。 
 それらの松の木は訓練所建設時に当時の正門側(現在のグランド側の国道290号線沿い)へ移植され、今でも当時の松の木が五本ほど残っています。
  開所当時の敷地周辺は田んぼばかりでとても単調であったことから、訓練生の保護者の方が桜の苗木を寄付してくださり、一期生が授業の合間に苗木を植えたそうです。これらの桜に平成四年の短大建設時に若木を植え足し、現在に至っております。これらのことから、この古い桜の樹齢は約五十年、若い桜の樹齢は約二十五年と推定され、あわせて75本の桜が毎年春の訪れを知らせてくれています。


 

田中 泰阿弥(たなか たいあみ)

1898(明治31年)新潟県柏崎まれ(笠原為治の次男)。20歳から京都岡崎の庭師「中村満次郎」のもとで作庭を修行。27歳養子を請われ田中泰治と改名。53歳「泰阿弥」と名乗る。
31歳で銀閣寺出入りの庭師となり、銀閣寺の石組み発掘修復。古庭園の作庭師として全国に知られる。