五回目である今回は、樹木も景観の担い手とし、小学校にある松並木や珍しい松に注目した。また、奨励賞として神社と寺を選出した。

 


◇米倉小学校の松並木 

 見学条件:特になし

 会津街道は江戸へ出る主要道路で、藩主の参勤交代もここを通った。旧会津街道の松並木は時代とともに数が減って、現在は校地内に15本、民有地の左右に8本、計23本となった。老松は2百年という時空を超えて生き残り、貴重な江戸時代を証する、物言わぬ証人。地域の人々によって保護されているが、何本かは危篤に近い。悔いの残らぬよう、最大限の延命努力を施し、次世紀まで生かしたい。

   

◇竹俣小学校校庭の多行松

  見学条件:特になし

 明治6年学制発布で石喜校として発足。明治42年に竹俣小学校として独立、現在地に校舎を新築した。
 校舎前の水路に並ぶ13本の赤松は「多行松」(たぎょうしょう)といい、根元から枝分かれした珍しい松で、95年前に校舎の新築を祝って地元から寄贈された。今では約百年を経て、高さも10b以上にのび、鮮やかな緑と珍しい形で校庭を彩っている。
 校舎は平成6年に改築、新しい技術の木造校舎として誕生した。二王子岳と水路に並ぶ多行松、この景観を次世紀まで伝えたい。

   

◇土蔵造り民家(諏訪町三−中村家)

 見学条件:敷地内無断進入不可

 諏訪町三(旧上鉄砲町)の中ほどから、旧東町へ曲がる小路に中村家がある。この家は新発田では珍しく、母屋をはじめすべてが土蔵式に作られ、大正元年に完成した。建物は延べ92坪12室で畳が84枚、蔵づくりの民家としては図抜けて大きい。扉は二重で土壁と鉄扉で出来ていて、重い引き戸は吊り戸形式になっている。
 土蔵造りは防火のため壁を厚く塗る。厚さは約30センチほどで、薄く塗って十分乾いてから次に進み、そのため長い工期を要し、完成までに約3年かかったという。壁の重さに耐える基礎はしっかり据えることが必要で、沢山の御影石を使っている。鉄道のない時代で新潟方面から舟で新発田川を遡って運んだそうだ。材料を吟味し集め、じっくり手間をかける。準備を含めると10年という歳月が必要だったろう。こうした家造りが長く生き残る秘訣で、城下町の風情を後世に伝える貴重な街屋である

   

◇ 樋口邸の橋と門

  見学条件:敷地内無断進入不可

 外ヶ輪小学校西門向かいの新井田川に、自宅玄関用の木造橋を架けている。丈夫さ第一のコンクリート橋に比べると繊細で粋、川の流れが綺麗に整って見える。渡れば木造銅板葺きの門が待ち受け、格子戸に透けて綺麗な庭が見え隠れする。
この街は、住む人が新発田の持つ歴史や風景を心に留め、周りに少しサービスする精神を形にすれば、こんな心地よい景観を生み出すことができる。



◇下中の常勝寺

 見学条件:特になし

 国道7号の加治大橋を渡ると市立七葉中学校がある。この学校脇の十字路を左に曲がるとすぐ常勝寺である。山門前の左右両側には座像の六地蔵が三体づつ並んでいて、すぐ山門がある。この山門は江戸末期の建築で、梁が高く特色のある形が印象的である。
 山門を入り本道に向かうと、正面の本道前に高さが三メートル以上もある石像の准堤観音が目につく、石像の准堤観音は珍しいが享保のころ三日市藩の留守居役が上方から招来し寄進したものと伝えられる。准堤観音を中心にして、座像の地蔵菩薩を両側に三尊風に配置してあり、背後の白藤の咲く頃がすばらしい。

   

◇本田(一本松)の熊野神社

 見学条件:特になし

 本田集落から笹岡方面の道を少し行くと一本松の集落がある。この集落に熊野神社が鎮座する。現在の熊野神社は大正四年に集落の十三社を合祀したもので、翌大正五年に新社殿が完成した。合祀前の各社の創立はいずれも古いものであったという。殊に旧熊野神社は、四百年前の創建と伝えられていた。
現在の社殿は、本殿、幣殿、拝殿、神饌所のほかに舞楽殿を備えた堂々としたもので、鳥居を潜り広い境内に入ると高くて形の良い松ノ木が四、五本あり、境内が神域であることを強く感じさせる。