四回目は、歴史的価値のある木造の建物3件と、新たに出来た新発田駐屯地正門とその敷地内にある白壁兵舎を選出した。(平成15年度)


陸上自衛隊新発田駐屯地正門と白壁兵舎
(大手町6−4−16)

新発田駐屯地は、城跡の中にあり、全国的に非常に珍しい駐屯地です。平成16年春に三階櫓、辰巳櫓が揃って完成すると、江戸の往時を彷彿とさせることでしょう。これに先立って隊では駐屯地の正門を西に移し、門中央から三階櫓を真正面に望む配置としています。土塀風の塀に瓦を載せ、警衛所(受付)は高さを抑え、白とネズ色の控えめのデザインは、やがて現れる城郭を際立たせる配慮が覗えます。
隊敷地内にある白壁兵舎(名は1,2階とも外壁が漆喰塗り、純白で清楚に仕上がっているところから由来。現在駐屯地資料館と倉庫に使用)は明治7年新発田城の古材を使用して建てられたと言われています。築約130年を経過して現存している貴重な遺産的価値があり、裏から見る三階櫓も含めて、自衛隊祭り時などの施設開放が待ち遠しくなります

 

   

紫雲閣
(大栄町6−7−30叶野善作商店敷地内)

※個人物件につき外観より見学可

明治35年金塚(金子)白勢様が建築し、昭和31年に水野様によって、現在地に移築されました。建物の特色は1階側柱より2階柱が外に迫り出ていて、ずれた柱の根元は台盤(2階土台)から立ち、塔の造りに似ています。2階には見事な仏像が安置され、その造りは、建物を超えた迫力を感じさせ、白勢様は「この仏像のために塔を建立したに違いない」と思わせます。その根拠は、建物の細工が上に行くほど精緻で豪華になり、仏像を前に高まって行く手法を随所に見出すからです。謎めいた不思議な魅力を秘めた建物(宝物)です。

   

平久呉服店(御幸町1−1−3)

旧四之町の角(現在地)に呉服の店舗として、昭和8年ごろ建てられたものです。昭和初期の典型的な造りで、一階が店舗になっており、その柱や梁は城のように巨大な部材(欅を中心に)を使用し、間仕切りのない大きな店を支える丈夫な構造になっています。築70年という長い時間の中で、何回も変更され、色んな難題に柔軟に対応できたのも、強い骨の組み方にあるようです。外観は当時の格式を象徴した入母屋造りの屋根で、通りに面した東、南面は上下階とも壁を配せず、大きな開口(引き戸)になっています。こういう壁のない建物は、鉄筋コンクリートや鉄骨造が得意で、今日の木造では技術的、予算的、材料調達でも建築不可能と思われます。木造の技術水準と城下町の名残を留めた現役の生き証人でしょう。

   

旧高橋屋旅館(大手町1−2−17)

※個人物件につき外観より見学可

昭和11年に建築された木造旅館です。明治4年に開業し、これまで明治28年と昭和10年に二度の大火で焼失し、現在の建物は三代目にあたります。初代旅館には、明治15年、新発田に来た若き医官、森鴎外(当時林太郎)が宿泊しています。(鴎外著『北游日乗』に記載されているそうです)旅館の草分けでした。老舗の風格を継承する外観は、両袖に張り出した総二階建ての入母屋屋根と、正面の入母屋を豪華に重ねています。玄関は両袖の奥中央に、入母屋を平屋で架け、彫りの深い見事な透かし欄間が客を迎えます。玄関の戸を開けると縁側の先は、中庭の明るさと、手の行き届いた庭が開けます。この時代の建築は来訪者に繊細で周到な気配り等、見事な設計手法が隠されています。新しい街が容赦なく日本建築の奥ゆかしさを消失させるような気がしてなりません